dekakiyo2014-09-24

尊敬する鹿野道彦先生が、旭日大綬章を受章なされました。
心から深くお祝い申し上げます。

鹿野先生は、二大政党制による政治改革を目指し、自民党を飛び出した議員の中で、数少ない信念を貫き通した政治家だと思います。
大抵の政治家は、政治改革を唱えて自民党を飛び出したにもかかわらず、厳しい野党ぐらしに疲れ、自民党と連立したり、復党しました。


鹿野道彦先生は、清和会(福田派)のプリンスと呼ばれ、将来の総理大臣を期待され、運輸政務次官総務庁長官、農林水産大臣等を務めながら、リクルート事件、佐川急便事件等の自民党の腐敗をうけ、自民党を飛び出し、政権選択可能な二大政党制、政権交代による政治改革に人生をかけて頑張られました。


民主党政権末期、混沌とした情勢の中で、鹿野先生は、自分が何と言われようとも、中間派の重鎮として民主党の分裂を回避することに心を砕いていました。
鹿野先生は、「僕は新進党で、小沢(一郎)君と党を二分する戦いをした。その為に、新進党は解党してしまった。民主党では、決して繰り返してはならない。ここで私まで、どちら側かはっきりさせたなら、党を真っ二つにする戦いになる。どっちつかずと言われようとも、中間派として、党の分裂を防ぐしかない。」
自らの経験を教訓に、きっぱりと仰られていたのを今でも鮮明に覚えています。

今の政治状況をみるに、鹿野先生の仰っていたことは、まさに慧眼だと思います。
分裂した民主党は、先の衆院選参院選と連敗して、壊滅状態となり、政治に緊張感が失われてしまいました。


今になって、民主党を離党した方々が、民主党との選挙協力が必要だというような事を言っています。
本当の事を言うと、民主党をぶっ壊そうとしていた方々が、今更、何を言っているんだと言う思いが、私にはあります。


私事ですが、復興の仕事をしている時に、与党副幹事長をやめろだとか、離党しないなら事務所から人を引き抜くとか、総選挙で刺客を出すだとか、他にも色々言われました、、、しかし、私は、例え潰されようが、仕事を辞めるつもりも、与党を辞めるつもりもありませんでした。
故郷の復興の仕事を、遅らせるわけにはいかなかったからですし、民主党を潰させるわけにもいきませんでしたから。


離党組の言ってることもついて行けませんでした。マニフェストに関しても、そもそも、小沢、鳩山体制でつくられたマニフェストであり、それを、最初に破ったのも、鳩山、小沢体制の時でした。
離党組が、恥ずかしげもなく、民主党を批判した時は、空いた口がふさがりませんでした。


鹿野先生の秘書として勉強させていただいていた時代、選挙で山形を歩いていると、行く先々で「政権交代バカ」と呼ばれていました。愛情半分、本音半分といったところだったでしょうか。政界から一線を退いた今も、その熱い思いは健在です。
山形で、叙勲の祝賀パーティーがあり、来賓の方々からはミニ新幹線方式による山形新幹線の開業をはじめ、様々な功績を讃えて頂きました。
しかし、当の本人が、いの一番に挙げたのは、「政権交代」、つまり政治改革でした。
本当に、究極の政権交代バカだと思いました。



正直、離党組に対しては、様々な思いがあります。
心の底から、呆れているし、情け無い人たちだと思います。
しかし、日本の民主主義の危機的状況を、乗り越えるためには、忘れることも、我慢することも必要でしょう。
鹿野先生は、どれだけのものを捨て、我慢し、政治改革を進めて来たのか。
それに比べれば、何でもない。
危機的状況の日本の民主主義を復活させる為にも、私も、政権交代バカの1人として、やり抜かねばなりません。