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厳しい選挙にもかかわらず、多くの皆様に力強く応援頂きました事、心から感謝申し上げます。
そして、私の力不足で、結果を残せなかった事に、深くお詫び申し上げます。
今後も、地域での政治活動は、継続させて頂きたいと思います。
しばらくは、選挙でお世話になった方々にご挨拶周りをしてまいります。
これからもよろしくお願い申し上げます。
それと、人命救助に対する感謝状についての噂がひとり歩きしているので報告です。
以前の事実無根の誹謗中傷の時のように、ネット上で悪意ある方に勝手に話をつくられたく無いので、かきます。匿名発言のサイトでは、今回の事故も自作自演と書かれはじめました。この事から、どうあっても悪意ある情報操作をしてくる方々がおられるという事がわかりましたので、詳しくかきます。
(事実無根の誹謗中傷に関しては、http://d.hatena.ne.jp/dekakiyo/20120519)
以下、人命救助に関して
選挙期間中に、女性3名の人命救助をした件につき、12月22日に、岩沼市消防本部消防長から感謝状を頂きました。
選挙遊説中、道路に人だかりができていたので、注意して見たところ、乗用車が事故で横転していました。衝突事故の様でした。
選挙カーを降りて駆けつけると、付近におられた方が、警察には通報したとの事でした。
周囲から煙のにおいがして(エアバックが飛び出たからでしょうか、、、)、横転している車の中をフロントガラス越しにのぞくと、煙っぽい車内に人が閉じ込められていました。
横転車両のドアを上に開けて、周囲の方々と協力して運転手の女性を引っ張り上げました。
後部座席にも、お二方おられる事に気が付きましたが、シートベルトが外れずに、宙釣りの状態でした。
そこで、横転車両の上に飛び乗り、後部座席のドアを開けて、車内に乗り込み、下になってる方(高齢の女性)を潰さないように、上の女性を抱えながらシートベルトを切断して(薬局の前だったので、ハサミを貸して頂きました。)、順番に救助しました。
被害者の方も、回復なさったようですし、力になれて、感謝状を頂けて、とても嬉しいです。
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民主党のウェブサイトより引用
【宮城3区】「安倍内閣は復興財源を削り、国会議員の給料を上げた」橋本清仁候補
2014年12月12日
橋本清仁候補
宮城3区から立候補している橋本清仁候補は12日、角田市や名取市などで精力的に遊説や街頭演説を行なった(写真上は街角で力強く訴える橋本候補)。
名取市内での街頭演説で橋本候補は「私は被災地で活動する政治家として、皆さんにお伝えしなければならないことがある」として、民主党政権時代、被災地の復旧・復興の財源として国会議員の歳費(給料)を421万円切り下げた上で、国民に復興所得税や復興住民税として10年間の負担をお願いした経緯を説明し、「ところが今年5月、安倍自民党は国会議員の給料カットをやめた。復興財源を削って国会議員の給与をアップさせたということだ。国会議員の数を削るどころか、給料を上げている」と厳しく批判した。
年金積立金の株式での運用を倍額にしたことについても、「年金の無駄遣いは自民党のお家芸だ。グリーンピアや消えた年金問題など様々な問題があったが、今回は株が暴落したときに年金が消し飛んでしまうという話だ。今の株価の高値は皆さんの年金で維持しているが、一歩間違えれば老後の安心のための年金が消えてしまう」と述べ、「年金が消えてしまう前に、私に国会で追及させていただきたい。そして何よりも被災地で活動している政治家として、国会議員の給料を上げたことを徹底的に追及する。どうか私橋本清仁にいま少しお力を与えていただきたい」と訴えた。
マイクが使える時間ぎりぎりまで強い思いを訴える
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尊敬する鹿野道彦先生が、旭日大綬章を受章なされました。
心から深くお祝い申し上げます。
鹿野先生は、二大政党制による政治改革を目指し、自民党を飛び出した議員の中で、数少ない信念を貫き通した政治家だと思います。
大抵の政治家は、政治改革を唱えて自民党を飛び出したにもかかわらず、厳しい野党ぐらしに疲れ、自民党と連立したり、復党しました。
鹿野道彦先生は、清和会(福田派)のプリンスと呼ばれ、将来の総理大臣を期待され、運輸政務次官、総務庁長官、農林水産大臣等を務めながら、リクルート事件、佐川急便事件等の自民党の腐敗をうけ、自民党を飛び出し、政権選択可能な二大政党制、政権交代による政治改革に人生をかけて頑張られました。
民主党政権末期、混沌とした情勢の中で、鹿野先生は、自分が何と言われようとも、中間派の重鎮として民主党の分裂を回避することに心を砕いていました。
鹿野先生は、「僕は新進党で、小沢(一郎)君と党を二分する戦いをした。その為に、新進党は解党してしまった。民主党では、決して繰り返してはならない。ここで私まで、どちら側かはっきりさせたなら、党を真っ二つにする戦いになる。どっちつかずと言われようとも、中間派として、党の分裂を防ぐしかない。」
自らの経験を教訓に、きっぱりと仰られていたのを今でも鮮明に覚えています。
今の政治状況をみるに、鹿野先生の仰っていたことは、まさに慧眼だと思います。
分裂した民主党は、先の衆院選、参院選と連敗して、壊滅状態となり、政治に緊張感が失われてしまいました。
今になって、民主党を離党した方々が、民主党との選挙協力が必要だというような事を言っています。
本当の事を言うと、民主党をぶっ壊そうとしていた方々が、今更、何を言っているんだと言う思いが、私にはあります。
私事ですが、復興の仕事をしている時に、与党副幹事長をやめろだとか、離党しないなら事務所から人を引き抜くとか、総選挙で刺客を出すだとか、他にも色々言われました、、、しかし、私は、例え潰されようが、仕事を辞めるつもりも、与党を辞めるつもりもありませんでした。
故郷の復興の仕事を、遅らせるわけにはいかなかったからですし、民主党を潰させるわけにもいきませんでしたから。
離党組の言ってることもついて行けませんでした。マニフェストに関しても、そもそも、小沢、鳩山体制でつくられたマニフェストであり、それを、最初に破ったのも、鳩山、小沢体制の時でした。
離党組が、恥ずかしげもなく、民主党を批判した時は、空いた口がふさがりませんでした。
鹿野先生の秘書として勉強させていただいていた時代、選挙で山形を歩いていると、行く先々で「政権交代バカ」と呼ばれていました。愛情半分、本音半分といったところだったでしょうか。政界から一線を退いた今も、その熱い思いは健在です。
山形で、叙勲の祝賀パーティーがあり、来賓の方々からはミニ新幹線方式による山形新幹線の開業をはじめ、様々な功績を讃えて頂きました。
しかし、当の本人が、いの一番に挙げたのは、「政権交代」、つまり政治改革でした。
本当に、究極の政権交代バカだと思いました。
正直、離党組に対しては、様々な思いがあります。
心の底から、呆れているし、情け無い人たちだと思います。
しかし、日本の民主主義の危機的状況を、乗り越えるためには、忘れることも、我慢することも必要でしょう。
鹿野先生は、どれだけのものを捨て、我慢し、政治改革を進めて来たのか。
それに比べれば、何でもない。
危機的状況の日本の民主主義を復活させる為にも、私も、政権交代バカの1人として、やり抜かねばなりません。