日本最南端の有人島波照間島からの友人です。
私の住んでいる名取市植松地区は、波照間島に行ったことのある人が多い。
そして、なかなか手に入りにくい波照間島のプレミアムのついた泡盛や、食品を良く見かける。
というのも、私の近所にお住まいの村上武男さんの長女である美底恭子さんが、波照間島の看護師として働いているからです。
波照間島では、石垣島との航空路線の運休が決まりました。
看護士の恭子さんにすれば、「妊婦と高齢者には船での移動はつらいので、航空路線を存続してほしい。」という考えです。
その考えを聞いた、父の武男さんは、1300人分の署名を名取市を中心に集めました。
波照間島の人口が600人ほどですから、大変な数です。

この話は、私の地元の新聞「河北新報」さんにも、掲載されました。

そしてこの話を、一月前に東京で偶然お会いした、沖縄の参議院議員の喜納 昌吉さんに言ったら、「そんなに集めてもらったんだ。館腰に行かないと。」とおっしゃっていました。
喜納さんと言えば、「ハイサイおじさん」や、「花〜すべての人の心に花を〜」を大ヒットさせた。
是非,植松にお越しいただきたい。


今日は、美底さんが、お父さんの武男さんにお礼方々、名取市植松の実家に里帰りなさいました。
その歓迎会に、近所と言うこともあり、お招きいただき、楽しい時間を過しました。

そして、実は、私と波照間島とのご縁は十年前からあったと言うことが判明。
と言うのも、私の母の作った七夕飾りが、波照間島に渡っていたのです。
母は、仙台の老舗紙屋の娘でした。
仙台と言えば、仙台七夕です。
仙台の七夕飾りは、和紙でできていて、大掛り。
母の実家は、紙問屋を営むとともに、代々、仙台七夕飾りを作製販売していました。
藤崎デパートさん、仙台駅さん、仙台空港さん等、仙台の大手で有名な企業の七夕は母がデザインして、会社でつくっていました。
今は、心臓を悪くして、やめてしまいましたけれども。
ちなみに、七夕飾りの上の球体部分のデザインを初めに考えて、おそばのザルを2つ使って作ったのは、私の祖父です。
それが広まり今の七夕飾りの原型になりました。
国分町にあった紙屋が発祥と、どこかのHPにも書いてあり、良く調べたもんだと感心したのをおぼえてます。
話が脱線しましたが、母のつくった某企業の七夕飾りが、七夕終了後、海を渡り、波照間の方々を楽しませたそうです。
しかも、企業と交渉し、七夕飾りをゆずりうけ、送ったのが村上さん。
娘の為に、いつも一生懸命のお父さんです。

ご縁ですね。
その話を聞けたのは、とても嬉しかった。
母に教えてあげたところ、とても喜んでました。

写真は、恭子さんの旦那さん清和さんとの2ショット。
私が清仁で、彼が清和。
同じ清で、46年生まれの同級生ということもあり、意気投合。

ちなみに、清和さんのお父さんのブログ
http://chura5253b.ti-da.net/
波照間島の暮らしがわかる。
風景が美しい。
さっき、掲載の許可を貰いに電話したら、クーラーかけないといられないと言っていた。
さすが、日本最南端の有人島波照間島