<<橋本清仁の復興への取り組みホームページのお知らせ>>

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事務所の引越し、東日本大震災の式典、柴田町大河原町議会議員選挙対応など、忙しくしておりました。

東日本大震災の発災以来2年が経ちました。
この2年間、故郷宮城の復興に全力で取り組んできました。
仙南においては、農業、商工業の復興が進み、インフラも復興が進んでいます。
仙台湾南部海岸堤防(空港区間)、県南浄化センター、仙台南部道路ネクスコ移管等、私の取り組んだ仕事が、形になってきました。
ただし、地域によって復興のスピードにばらつきがあり、すすんでいる場所は進んでいるが、遅れている所は、取り残されています。
原因としては、地形的問題、被災の規模の問題、そもそもの自治体の基礎体力の問題、自治体と被災住民との関係等々、色々あります。
国で解決できる事もありますが、被災者、自治体が、解決していかなければならない事もあります。
今までも、法律を新しくつくったり、運用により、一つ一つ乗り越えてきました。これからも、元国土交通大臣政務官、元復興大臣政務官として、故郷の復興を見守り続けたいと思います。

先日、党の震災復興調査会が視察をしたいという要望があったので、アレンジさせていただきました。
最初に山元町役場へ。山元町は、今年度中に災害公営住宅の供給がはじまります。被災地最速です。頑張って頂いています。
斎藤俊夫町長からは、札幌市や横浜市など全国から70人以上の職員派遣等の人的応援を得ても、平時の15倍にも及ぶ予算の執行に当たっているので、まだまだ職員が足りない事、復興公営住宅の入札が幾つか不調に終わっており対策を検討中であることなどの説明がありました。現職時代に、片山元総務大臣にお願いし、全国から多くの職員を派遣頂いて、被災自治体は助かっているのですが、そもそも山元町のように自治体の規模が少さく、被災規模が大きいと、まだまだ厳しい。そして、間もなく入居が始まる復興公営住宅も見て回り、その後、荒浜漁港で漁業の現状について意見交換を行いました。

続いてJAみやぎ亘理を訪問。ここは、復興のシンボルとして頑張って頂いています。岩佐國男組合長の復興にかける情熱は素晴らしく、震災直後から積極的な行動をとってこられました。復興にかける情熱が、抜きん出ていました。それだけに連携がしやすかった。被災者、地方自治体、国の連携が上手くいったケースです。岩佐組合長、亘理町長、山元町長と連携し、いちご農家の復興に、1 6 1億円の予算を確保しました。これに関しては、鹿野元農水大臣、平野復興大臣に感謝。大変お世話になりました。岩佐組合長からは、「様々な要請内容をきちんと約束通り実行してくれた。」との感謝の言葉をいただきました。その後、亘理町の齋藤町長、齋藤副町長といちご団地を視察。皆で力を合わせて、世界一のいちごを目指して頑張って頂きたい。

最後に訪れたのは、仙台市内の「あすと長町」仮設住宅です。ここでは、住民代表との意見交換をしました。使い勝手の良い活動資金補助の要望、復興公営住宅建設にあたっての資材、人手不足についてなど、幅広い課題や政策について活発に意見交換しました。生コン等の資材、人手については、大臣政務官時代に対応していた事を紹介させていただきました。

これからも、故郷の復興を見守って参ります。